岩見隆夫 政治評論家

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略歴[編集]

関東州(現中国)の大連で生まれ、山口県防府市で育つ。山口県立防府高等学校京都大学法学部卒業後、1958年毎日新聞社入社。社会部記者、政治部記者、政治部副部長、秘書室長、論説委員、出版局次長兼サンデー毎日編集長、編集委員室長、東京本社編集局次長、編集局編集委員、編集局政治担当特別顧問を最後に、2007年3月31日で退社。

毎日新聞の編集局長時代には、夕刊紙上で「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」と一面から社会面まで誤報を掲載した経緯がある(毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件)。後日辞任し「行き過ぎ紙面を自戒」と紙上に文面を掲載した。

政治評論家としても活動しており、毎日新聞サンデー毎日に連載欄を持つ。政見は改憲容認など毎日新聞の社論よりは保守的なものが多い。1992年には連載企画「新編・戦後政治」やコラム「近聞遠見」の執筆で、政治報道に新生面を開いたことが評価されて、日本記者クラブ賞を受賞している[1]

毎日新聞社退社後は、クルーズ客船飛鳥II」による約3ヶ月間の世界一周旅行(2007年4月初旬放送のTBSみのもんたの朝ズバッ!』にてクルーズ客船を特集した際、出発間近の同船に岩見が乗ることをみのもんたが口にした)を経て、2007年夏頃より毎日新聞客員編集委員として再始動。9月13日には春までレギュラー出演していたテレビ朝日やじうまプラス』で久々に出演した。

2012年10月1日付で特別顧問に就任。

2013年、自ら末期肝癌であることを公表。5月24日に緊急手術を受けたため、一切の仕事を取り止めて治療に専念するものの、新聞『近聞遠見』、サンデー毎日『サンデー時評』の両コラムは継続する意向を示していた[2]

2014年1月18日、肺炎のため死去[3]。78歳没。

コラム「近聞遠見」[編集]

1989年9月から毎日新聞で政治コラム「近聞遠見」を週1回連載していた。2013年12月7日付け『政治家の伴侶としての「女」』が絶筆となる。

事実誤認[編集]

2009年5月30日毎日新聞に掲載されたコラム「近聞遠見」において、事実誤認に基づき首相を批判したことが問題になった。

問題のコラムで岩見は、麻生太郎首相と鳩山由紀夫民主党代表との初の党首討論での麻生の発言の一部を取り上げ、「「殉じる」とは言ってない」との見出しで「麻生の思い込み」と非難していた[4]。しかし、鳩山は「小沢氏の下での幹事長だ。殉じるときは殉じる」と発言しており[5][6][7]、実際には岩見の思い込みであった。

2009年6月13日に同コラムの末尾に「お詫び」と題する訂正が出された[8]。「筆者の記憶、調査が不十分だったための間違いで、深くおわびし、訂正します」と説明している。ネット版では問題の回のコラムが削除された。

役職[編集]

 

引用元

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E8%A6%8B%E9%9A%86%E5%A4%AB

面白い方でしたね。テレビでよくお見かけせれていましたが、今現在はみることができなくなりました。岩見さんの用に物事をはっきりと語る方は少なかったので面白かったですが、2014年に無くなられて残念です。