田崎史郎 政治評論家

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政治評論家を名乗る人の多くは新聞記者、メディアの記者として政治を扱っていたことから、政治に携わり続けるケースが少なくありませんが、メディアに頻繁に登場する田崎史郎さんもその1人です。安倍総理との関係が近く、時に安倍総理を擁護する発言を連発させ、野党やその支持者から批判を受けることもしばしば。自民党との距離が近い政治評論家です。


1950年6月22日生まれ、69歳の田崎史郎さんは福井県坂井郡三国町の出身です。地元の高校を卒業すると中央大学法学部へ進学しますが、この当時は学生闘争の時代。大学2年生の時には、新東京国際空港の建設反対でも有名な三里塚闘争へ参加したことで逮捕され、警察署に留置される経験をします。


その後、1973年に大学を卒業すると時事通信社に入社。1975年とある異動が左遷にあたり、その理由が労組に所属していただけでこれはおかしいと会社を提訴し、数年後に政治部へ異動することで和解が成立し、その数年後、政治部に移動します。
最初に担当したのが時の総理大平正芳総理の番記者。総理の番記者は政治部の若手がやる慣習があり、それにならった形です。その後担当が変わる中、田中派を担当するようになると、小沢一郎氏など旧田中派系列の政治家を取材する役回りになり、解説委員へ移動、解説委員長になってからは現在のようなテレビでの活躍につながっていきます。現在は定年後の再雇用期間も終了し、完全フリーな政治評論家の立場で政治を語っています。


大胆なことをするのも田崎さんの手口で、一時期仲が良かった小沢一郎氏が全く取材に応じず、それならばということで1994年小沢一郎氏のオフレコ発言を雑誌で紹介し、時事通信から処分されます。このことで当時キャスターをしていた櫻井よしこさんに雑誌上で批判され、記者失格の烙印を押されるほど。オフレコでの発言を記者が勝手に破ることは当時としては許されない行動でしたが、既に取材できない状態なんだから何の問題もないという狙いがあったそうです。


安倍総理との距離は近く、ここ数年は一緒に食事を頻繁に行っており、政権寄りであると批判を受けます。最近ではいかに権力と近いことにいるかを主張する政治評論家が増えていますが、田崎さんはその先陣を切る勢い。一方で難しい政治の話題をできるだけ分かりやすく紹介することも事実で、結果的にキー局のワイドショーに複数出演を果たすなど、ある種のスポークスマン的な扱いを受けています。