楠田實 政治評論家

f:id:hyouronka:20191106040317j:plain

 

政治評論家には、様々な経緯を持つ人が少なくありません。意外と多いのが過去に首席秘書官として総理大臣だった政治家を支えた経験を持つ人です。その中の1人が楠田實さんです。1924年11月7日生まれ、鹿児島県出身の楠田實さんは、戦時中は陸軍に入り、中国に従軍します。危険な戦地から復員した楠田さんは早稲田大学に入学し、卒業すると産経新聞社へ記者として入社します。政治部記者となった楠田さんは複数の政治家の番記者を務めますが、なかなかうまくいかず、当時岸内閣で大蔵大臣だった佐藤栄作氏の番記者に。佐藤栄作氏は首相退陣の会見で新聞記者を追い出し、テレビだけに自分の言いたいことを述べるほど、マスコミ嫌いでしたが、そんな中、楠田さんは佐藤栄作氏の信頼を勝ち取り、相当なひいきを受けます。


1964年、まだ30代の楠田さんは、この年の総裁選に備え、佐藤栄作氏の公約を考えるようになります。残念ながらその当時の総裁選で敗れましたが、直後に当時の首相池田勇人氏にガンが見つかり、東京オリンピックを見届けるように退陣し、佐藤栄作氏が後継指名されて、首相に就任。この頃はまだ産経新聞の政治部に所属していた楠田さんは、秘書官になるよう佐藤栄作氏に求められ、新聞記者をやめて秘書官に転身します。秘書官になった楠田さんは政策ブレーンと呼べる人たちに接触した他、有識者会議を立ち上げるなど現在の政治につながるやり方を取り入れます。


長く続いた佐藤内閣が終わり、政治家への転身も失敗、そこで再び裏方として今度は福田赳夫氏をサポートした他、現在の安倍晋三首相の父、安倍晋太郎氏のスピーチライターも務めます。政治評論を行いながらも団体の理事などを務めた楠田さんでしたが、2003年にこの世を去ります。その2年前には楠田實日記と呼ばれる、首席秘書官時代のことが書かれた本が出版されるなど、佐藤栄作氏の人となりから激動の6年間のエピソードが余すことなく書かれてあります。


首席秘書官を務めた後に政治評論の舞台に行くケースには、江田憲司氏などがいますが、いわばそのはしりの人物が楠田さんでした。首席秘書官はいわば権力争いの最先端でありながら、政治の最前線にいられる存在です。そこで何年も支え続け、結果的に長期政権へとつなげていったのは楠田さんの功績も少しばかりはあるとされ、同じような人物は二度と出てこないのではないかと言われています。