麻生良方 政治評論家

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元政治家が政治評論を行う、今はかなり多いですが、昔も元政治家の政治評論家はそれなりにいました。その中の1人が麻生良方さんです。1923年12月15日生まれ、東京都の出身の麻生良方さん。無産政党の指導者で日本社会党の源流にあたる政党を指揮していた麻生久氏を父に持ち、少年時代は詩人を目指し、自らの詩集を自費出版するほどでした。そんな麻生さん、早稲田大学文学部を中退すると、父を追うように日本社会党に入党。その後、浅沼稲次郎氏の秘書となり、自らも政治家を目指しますが落選。その後日本社会党と袂を分かれ、浅沼氏の選挙区に刺客として送り込まれますが、この時に浅沼氏が暗殺され、麻生氏は裏切り者扱いをされて、苦戦を強いられます。


その後選挙に3回連続当選した麻生さんでしたが、1972年に落選すると政治評論家に転向。マスメディアで活動を行っていく中で再び立候補し堂々のトップ当選。今では珍しくないものの、当時は珍しかった無党派を前面に出した無党派クラブを立ち上げます。その後、東京都知事選に立候補するも落選、以降は政治家廃業宣言をして政治評論家に完全シフト、晩年は政治評論を中心に活躍します。


ロッキード事件では自民党金権政治を舌鋒鋭く批判し、それがメディアに大変好評で、様々な媒体で活躍するようになります。麻生さんが政治家として活躍した時代は左派が圧倒的に強かった時代で、革新政党に所属する政治家が主要な自治体の首長を務めており、麻生さんもそれに乗っかる形となりました。政治家としての実績よりも、落選した時期に政治評論家としてロッキード事件を批判していた時の方が実績があるような人物とも言えます。交友関係としては三島由紀夫さんと交流を盛んにしており、三島由紀夫さんの小説のモデルになったこともありました。また文芸雑誌などにも明るく、政治の舞台よりも芸術などの分野で有名になった時期もあります。


しかし、そんな麻生さんも年齢を重ねていく中で病魔に倒れてしまい、思うような活動ができなくなります。活動がセーブされ、1995年2月21日麻生さんはこの世を去ります。71歳という年齢はまだまだこれからという年齢だったこともあり、世間に衝撃を与えました。数奇な運命をたどり、まさに波乱万丈といえる麻生さんの政治家人生、そして政治評論家としての活躍は今の人たちにも見習ってほしいものがあります。