渡邉恒雄 政治評論家

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巨人が勝つのであればどんな手でも使う、そんな印象を持つ人が大半の中、実は政治の舞台でかなりの辣腕を振るってきたのが渡邉恒雄さんです。1926年5月30日生まれ、93歳でいまだに現役として活動する渡邉恒雄さんは東京都杉並区の出身です。現在のりそな銀行の源泉にあたる銀行で働いていた父を持つ渡邉さんですが、その父は8歳の時にガンで急死。当時はまだ家制度が色濃く、父親の全財産を若くして相続し、一家の大黒柱として期待されます。その後東京大学に入り、その後読売新聞社に入社。読売新聞が発行する週刊誌の記者を務め、政治部記者に抜擢。週刊誌の記者時代には、元首相の鳩山一郎氏が脳出血で倒れた際に居合わせます。


政治部記者になった渡邉さん、時の社長で野球界にもかなりの影響を残す正力松太郎さんに才能を認められ、自民党を中心に人脈を作り上げていくことに。中でも大野伴睦氏から絶大な信頼をされ、自民党総裁衆議院議長のポスト獲得に関する交渉の代行や政治家のゴーストライターなどをするようになります。その後お近づきになったのが先日亡くなった中曽根康弘氏。中曽根氏とは日本テレビで晩年まで番組に出演するなど、親密な関係性を半世紀以上続けてきました。その立ち居振る舞い、新聞記者としての能力は多くの人が認めるところで、これだけのことができる新聞記者は今後出てこないと言われています。


読売新聞を使って世論をリードするやり方を好んだ渡邉さんは、まだ憲法改正にどの新聞も後ろ向きだった時代から憲法改正のキャンペーンを展開します。その後も読売新聞の社長、会長として政治をリードしようとし、その極めつけは2007年の大連立構想です。中曽根氏と一緒になり、ダメージを受け続けていた自民党政権交代まであと一歩のところにいた民主党で連立政権を作り、安定した政治基盤を作ろうと模索します。この頃にはネットの力もあり、新聞が世論をリードすることは難しくなっていました。政治評論家を名乗っているわけではありませんが、これだけ政治についてどっぷり続けた人はなかなかいないでしょう。


巨人のオーナーとしてFA制度や逆指名制度など様々なものを生み出し、巨人がリーグを脱退するという脅し文句でやりたいようにやってきた渡邉さん。それは政治の世界でも同じで、黒幕としてこれだけやれたのは渡邉さんぐらいしかいないでしょう。