橋本五郎 政治評論家

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テレビでよく見かける政治評論家は数多くいるでしょうが、主に日本テレビ系列を中心に活躍する政治評論家がいます。それが橋本五郎さんです。1946年12月29日生まれ、73歳の橋本五郎さんは秋田県山本郡琴丘町の出身です。地元の進学校を卒業した橋本さんは慶應義塾大学法学部政治学科に進学。卒業すると読売新聞社に入社します。最初は浜松支局に配属されますが、1975年に本社社会部へ、その後政治部に異動し、そこからは政治部次長や政治部長を歴任します。1998年に編集局次長に就任した橋本さんは、1999年から日本テレビ系の朝の番組に出演。その後、日本テレビ系の番組に出演し続け、2001年には編集委員、2006年には特別編集委員を務めるなど、そのテレビでの活躍は20年以上になります。


橋本さんが一躍有名になったのはズームイン朝への出演でしたが、歴史に残る放送が行われました。それがブッチホンです。ブッチホンは当時の総理大臣だった小渕恵三氏が、唐突に電話をかけることからつけられ、1999年には流行語大賞を受賞。その小渕氏が2000年1月5日、ズームイン朝において橋本さんが政治に関する論評をしていた際に突然電話をかけます。橋本さんを始めスタジオは騒然としますが、小渕氏に関する話をしていた橋本さんからすれば、これほどうれしいことはないでしょう。


単独での著書は2001年に出されており、日本の政治、経済に関する本が最初でした。政治の本ばかりではなく、新聞記者として新聞に関する本などを出し、共著では政治の本と選挙の本を出すなど、精力的な活動を行っています。しかし、2000年に胃がんになり、手術では胃の全摘出を行うなど、テレビに出て精力的に活動し始めた時期にはもう胃の全摘出をした後、とてもバイタリティーにあふれた人であることがわかります。


専修大学で講師を務めるなどアカデミックなところでも活躍する橋本五郎さん。ワイドショーなどで見かける機会が多く、あの渡邉恒雄さんから信頼を置かれる存在のため、自民党政治に明るく、政権寄りなところが見受けられます。それでも元気いっぱいに政治評論を行う姿は、一度病に倒れたようには見えず、同じ境遇で苦しむ人からすれば元気をもらえる存在と言えるでしょう。毎週のようにテレビで政治評論を語る姿を1日でも1年でも長く見られることを願うばかりです。

松原耕二 政治評論家

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本来メディアに属する人間は政治評論家ではありませんが、退職すれば間違いなく政治評論家になるであろう人がいます。それが松原耕二さんです。1960年8月12日生まれ、59歳の松原耕二さんは山口県下関市の出身です。早稲田大学政治経済学部を卒業した松原さんはTBSに入社、報道局の記者になります。1989年、鳴り物入りで始まった筑紫哲也NEWS23にはディレクターとして参加、1991年には朝のニュース番組のメインキャスターに抜擢されます。その後報道特集のディレクターを務め、1997年、夕方に放送されていたニュースの森のメインキャスターに。2004年にはニューヨーク支局長に就任します。アナウンサーだったわけではなく、当初から記者として活動し、メインキャスターとして表舞台にも出るようになったというなかなか稀有な経歴を持っています。


帰国後は報道局のプロデューサーとしてサンデーモーニングを担当しますが、やはり表舞台に呼ばれることになり、NEWS23XやBS-TBSの週刊報道LIFE、報道1930のメインキャスターに就きます。社会部、経済部と政治とは違う分野で記者をしていたこともある松原さんですが、政治にも密接に絡んでおり、ニューヨーク支局長時代には全くの無名だったオバマ前大統領の歴史に残る演説に立ち会う強運を見せます。キャスター時代には官房機密費問題で野中広務氏から具体的な金額を引き出す他、1998年には参議院選で惨敗した当時の総理大臣橋本龍太郎氏から辞任を引き出すインタビュー、カストロ議長へのインタビュー、民主党代表選で候補者だった政治家を出演させてインタビュアーを務め、番組内で党首討論を行わせます。


このように、政治評論家ではないものの、政治と密接に絡み、大きな影響を生み出したケースは少なくありません。意外なところでは小説を書き上げており、作家としての姿も見せています。報道にどっぷりと浸かり、時の政権に対して鋭く切り込んでいく姿はキャスターだけでなく、ディレクター、プロデューサーを務め、視聴者が何を求め、メディアは何をすべきなのかを分かり切った人にしかできない業といえるでしょう。


定年が近づき、2020年には何かしらの選択をするであろう松原さん。それが政治家への転身か、政治評論家への鞍替えか、はたまたTBSに出続けるのか、そのあたりはまだこれからのこと。ただ政治評論家として十分なキャリアが積み重ねられています。

蟹瀬誠一 政治評論家

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報道に携わってきたキャスターなどは自然と政治や経済に対する問題意識を強く持つようになります。その中で現状の政治を憂いつつ、大学教授としてアカデミックな立場から政治を見つめているのが蟹瀬誠一さんです。1950年2月8日生まれ、69歳の蟹瀬誠一さんは石川県河北郡津幡町の出身です。日本大学の体育学科を中退後、上智大学の新聞学科に入り直した蟹瀬さん。その後、アメリカのメディアであるAP通信社の記者となり、フランスのAFP通信、現在も世界中で影響力を持つ雑誌TIMEの東京特派員を歴任します。


その後フリージャーナリストになった蟹瀬さんは、現在も放送されているJNN報道特集のキャスターを務めた他、お昼のワイドショー枠でありながら硬派な報道番組として話題を集めたザ・ニュースキャスターの司会、スーパーJチャンネルの前身にあたるステーションEYE、週末版のスーパーJチャンネルなど、テレビ朝日で様々な報道番組を手掛けました。2002年には明治大学文学部で学生への指導を行うようになり、2008年には国際日本学部の学部長に就任、その後教授になるなどアカデミックな活動を進めています。


長年ニュースキャスターとして政治のニュースを読み続け、触れ続けてきた蟹瀬さん。メディアは時の政権の暴走を監視するという特徴をしっかりと守っており、時の政権に対する発言は厳しく、このままでいいのかというメッセージを発信し続けています。また長年放送されている賢者の選択では、大企業の経営者などをスタジオに招き、トークを展開するなど、政治だけでなく幅広い分野で活躍します。著書には国際政治に関する本があるなど、政治に関する本も出されている状況です。


今の政治、特にジャーナリズムの衰退に対する危機感が強く、このままではまずいという意識が出ている蟹瀬さん。その一方、ゴルフに関する活動を強め、日本ゴルフ改革会議では、2020年東京オリンピックのゴルフ会場に関する選定に対して見直しを提言するなど、大きな話題を集めました。議論はオープンに、そしてフェアに行う、現実な提案をする、そうした意図が日本ゴルフ改革会議にはありました。蟹瀬さんもこの趣旨に賛同し副議長を務めています。今のジャーナリズムはそのあたりの意識に欠落し、オープンでフェアな話し合いは政治を中心に行われていない状況です。蟹瀬さんの動きは現状を打破するような動きとなっていくことでしょう。

角谷浩一 政治評論家

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最近になってインターネットメディアが注目され、テレビで自由に発言できない人がインターネットに流れるケースが目につきますが、鳴り物入りで登場したインターネットメディアを積極的に活用してきた政治評論家がいます。それが角谷浩一さんです。1961年4月3日生まれ、58歳の角谷浩一さんは神奈川県横浜市の出身です。野球でおなじみの横浜高校を卒業した角谷さんは日本大学法学部新聞学科に進学。卒業すると、東京タイムズに入社。その後、小学館で発行されている週刊ポストの政治担当編集者、SAPIOを担当した他、1990年にはテレビ朝日報道局に移籍するなど、様々な媒体で活躍しています。


政治に関するコメンテーターとして様々なワイドショーに登場する角谷さんですが、その名が知られるようになったのはニコニコ生放送への出演です。現在でこそインターネットで長時間の生放送、生配信を行うのは当たり前になっていますが、角谷さんが出始めた2009年は生放送のハードルはかなり高く、生配信を見続けるにはパソコンで見るしかありませんでした。いわばニコ生の創世記と呼ばれる時代にニュース番組を立ち上げ、そこでパーソナリティを務めたのが角谷さんです。長くその番組は続き、政治のことを語れる数少ない人として重宝されます。もちろんその前から政治評論家として活動していましたが、その名を知らしめるようになったのはニコ生への出演がきっかけです。


政治、政権との距離は比較的近く、2003年にはイラクの復興支援に関する委員会に参考人として呼ばれた他、内閣府の委員などを務めます。時の総理との単独インタビューや共産党議長である不破哲三さんへのインタビューを行うなど、そのキャリアは確かなものです。どちらかといえば中道保守でありながら、左派である共産党議長とのインタビューもやっており、幅広い活躍が特徴的です。


角谷さんは雑誌にコメントを求められることが多く、ワイドショーにも呼ばれることが目立ちます。その発言の内容は決してウケ狙いではなく、かといって、堅すぎるわけでもないため、話の内容が入りやすく、薄っぺらいものではないことが言えます。ウケ狙いを優先させ、話している内容が形容しがたいほど酷い政治評論家が少なくない中で、安定的な発言を行っているのが角谷さんです。今後もワイドショーだけでなく、ラジオやインターネットメディアなどに出てくる機会は増えていくことは間違いありません。

小西克哉 政治評論家

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政治を身近なモノにするためにラジオ番組などで積極的に政治を取り上げ、わかりやすく伝えてきた方がいます。その人こそ小西克哉さんです。1954年4月29日生まれ、65歳の小西克哉さんは大阪府の出身です。小学生のころから趣味で語学を勉強してきたという小西さんは、高校時代に留学、その後、東京外国語大学に入り、学生時代から通訳の仕事を行います。通訳として活動を行い、東京外国語大学大学院で修士課程を修了すると、1984年、テレビ朝日の番組CNNデイウォッチの司会に抜擢されます。その後、1989年に放送を開始したサンデープロジェクトでは初代司会者に抜擢、国内国外の政治問題を取り上げていきます。


CNNデイウォッチ終了後はラジオに活動をシフト、TBSラジオ荒川強啓デイキャッチのコメンテーターを務めると、2001年から様々な話題を取り上げる番組、ストリームがスタート、様々な話題を面白おかしく分かりやすく伝え、政治に関してもそれは同じでした。ストリームが終了後は再びデイキャッチのコメンテーターとなり、都合20年以上レギュラーを持ち続けました。最近は地元関西の番組に出演する機会が増えた他、インターネットの番組に出演するようになっています。また語学を活かし、大学の客員教授を務めるなど、幅広い活動が特徴です。


政治部記者だったわけではなく、いわゆるキャスターとして政治に接してきた小西さん。そのため、どちらかといえば一般の国民と同じ目線で政治に関するニュースに触れており、国民なら誰もが抱くであろう疑問を持ち、それを専門家に問うような形をとっています。政治のイデオロギーを色濃く押し付けるようなことはなく、いわゆるノンポリとして様々な事象を考えるような形になっています。時に政治に対する言葉が軽くなっているケースもありますが、国民と同じ目線で政治を考える場を作りだしており、むしろこの方が受け入れられやすいため、ある意味では小西さんの功績と言えるでしょう。


海外の政治など幅広く政治に触れられる小西さん、現状は大阪が中心となっており、東京で見かける機会は減っています。ただインターネットメディアに出演するなどもはや東京や大阪などは関係なく見ることができるので、今後も小西さんの活躍をテレビやネットを通じてみることになるでしょう。

渡邉恒雄 政治評論家

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巨人が勝つのであればどんな手でも使う、そんな印象を持つ人が大半の中、実は政治の舞台でかなりの辣腕を振るってきたのが渡邉恒雄さんです。1926年5月30日生まれ、93歳でいまだに現役として活動する渡邉恒雄さんは東京都杉並区の出身です。現在のりそな銀行の源泉にあたる銀行で働いていた父を持つ渡邉さんですが、その父は8歳の時にガンで急死。当時はまだ家制度が色濃く、父親の全財産を若くして相続し、一家の大黒柱として期待されます。その後東京大学に入り、その後読売新聞社に入社。読売新聞が発行する週刊誌の記者を務め、政治部記者に抜擢。週刊誌の記者時代には、元首相の鳩山一郎氏が脳出血で倒れた際に居合わせます。


政治部記者になった渡邉さん、時の社長で野球界にもかなりの影響を残す正力松太郎さんに才能を認められ、自民党を中心に人脈を作り上げていくことに。中でも大野伴睦氏から絶大な信頼をされ、自民党総裁衆議院議長のポスト獲得に関する交渉の代行や政治家のゴーストライターなどをするようになります。その後お近づきになったのが先日亡くなった中曽根康弘氏。中曽根氏とは日本テレビで晩年まで番組に出演するなど、親密な関係性を半世紀以上続けてきました。その立ち居振る舞い、新聞記者としての能力は多くの人が認めるところで、これだけのことができる新聞記者は今後出てこないと言われています。


読売新聞を使って世論をリードするやり方を好んだ渡邉さんは、まだ憲法改正にどの新聞も後ろ向きだった時代から憲法改正のキャンペーンを展開します。その後も読売新聞の社長、会長として政治をリードしようとし、その極めつけは2007年の大連立構想です。中曽根氏と一緒になり、ダメージを受け続けていた自民党政権交代まであと一歩のところにいた民主党で連立政権を作り、安定した政治基盤を作ろうと模索します。この頃にはネットの力もあり、新聞が世論をリードすることは難しくなっていました。政治評論家を名乗っているわけではありませんが、これだけ政治についてどっぷり続けた人はなかなかいないでしょう。


巨人のオーナーとしてFA制度や逆指名制度など様々なものを生み出し、巨人がリーグを脱退するという脅し文句でやりたいようにやってきた渡邉さん。それは政治の世界でも同じで、黒幕としてこれだけやれたのは渡邉さんぐらいしかいないでしょう。

星浩 政治評論家

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テレビ番組のアンカー、キャスターに就任する時に今まで所属していた新聞社を退社する政治評論家は少なくありません。その中の1人が星浩さんです。1955年7月29日生まれ、64歳の星浩さんは福島県白河市の出身です。地元の進学校を卒業した星さんは東京大学教養学部に進学、卒業後の1979年に朝日新聞社に入社します。朝日新聞社では長野や千葉の支局を経て政治部記者に。首相官邸自民党などを担当するとワシントン特派員、政治部デスクを経て、2000年に政治担当の編集委員を務めます。その後、母校である東京大学大学院の特任教授を務めた他、論説主幹代理、特別編集委員を歴任。2016年3月にNEWS23のキャスターへの抜擢が発表され、これを機に朝日新聞社を退社します。


令和になってからもNEWS23のメインキャスター、アンカーを務めている星さんですが、これ以前は朝日新聞社に属していたこともあり、サンデープロジェクト報道ステーションにレギュラーコメンテーターとして出演していました。ラジオ出演はほとんどありませんでしたが、ラジオ日本で放送された番組では読売新聞の橋本五郎氏と共演を果たすなど、幅広く活動を行っていました。過去には朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の記者やコラムニストと一緒になり、時の総理大臣や党首、省庁の事務次官などと会食を行うなど、政治や役所とのパイプも太いことがわかります。


意外なことに著書はそこまで多くなく、最初に出された著書は2005年、自民党に関する本でした。その後、テレビでの政治報道に関する本や第一次安倍政権に関する本、官房長官をクローズアップした本などを書き上げていますが、その多くは朝日新聞時代に出されたものです。現状はNEWS23に出演しており、その他の活動はあまりできていないような状況ですが、NEWS23では独自色の報道を続け、政権に対する監視を行っています。ここ数年は報道に対する圧力がかかるようになり、それに負けそうな時期もありましたが、権力を監視するというメディアがあるべき姿を示し続けているのも、何かと目の敵にされやすい朝日新聞出身の星さんだからこそです。


NEWS23がこの後どうなるか、定かではありませんが、筑紫哲也さんの時代から比べるとややパワーダウン感が否めません。いかに星さんの独自色を出していけるかが今後の課題かもしれませんが、政権に対して距離を置く番組は他ではあまりないため、自然と目立っているとも言えそうです。