田原総一朗 政治評論家

f:id:hyouronka:20190830231259j:plain

 

年齢を重ねても舌鋒鋭く政治に切り込んでいく、この姿勢を政治評論家は持ち続けるべきです。現在でもそれが出来ているのが田原総一朗さんです。1934年4月15日、85歳の田原総一朗さんは滋賀県彦根市の出身です。第二次世界大戦では、好戦的で、国のために死ねると言えるような少年でしたが、敗戦を迎え、大人たちが発言を180度変えてしまったことで、世の中に対する不信感が芽生えます。


田原さんは、当初作家を目指し、現在のJTBにあたる日本交通公社で働き、早稲田大学の夜間部に通う二足のわらじで頑張りますが、才能の限界を突き付けられ、ジャーナリストを志すことに。早稲田大学に入り直し、卒業するとマスコミを何社も志望するもダメ。岩波映画製作所でカメラマンのアシスタントを務めます。その後、1964年、30歳の時に現在のテレビ東京が開局し入社。ディレクターとして当時ですら過激な映像を撮り続け、様々な問題を巻き起こしますが、まだこの時は政治に目覚めていたわけではありません。ただ、社会問題を取り上げていく中で政治家がたびたび登場したことから、政治への関心を持つようになります。


フリーになった田原さんは、田中角栄さんとのインタビューを始め、政治とのかかわりを深めます。田原さんにとって最大の出世作は1987年からスタートした朝まで生テレビ、1989年から20年以上放送されたサンデープロジェクトです。与野党の政治家、映画監督などの文化人、タレントなど様々な立場の人間と対峙し、時に壮絶な空気になりながらも本音を引き出す姿勢にテレビの前の視聴者は魅了されます。


田原さんが政治評論家として評価されているのは過激な姿勢や誰に対しても持論を曲げない部分ではなく、政治家との距離を誰に対しても一定に置いている点です。政治評論家に対し、首相官邸がいくらかのお金を渡す傾向があり、政治評論家も何も言わずにそれを受け取るような時代がありました。官房機密費と呼ばれ、領収書がいらないブラックボックスのような仕組みでしたが、田原さんはそのお金を返していました。元官房長官だった野中広務さんがこの事実を明らかにしており、田原さんの政治に対する姿勢が浮き彫りになりました。


現在も過激な主張を続けており、85歳の今でも元気そのもの。日本でタブー視されていたものを取り上げ、激論を交わすなど今ならなかなかできないことをしていました。令和の時代でも日本の政治をズバズバと斬ってもらいたい、そんな声が根強くあります。