菊池久 政治評論家

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政治評論家の世界では、浜田幸一さんのように舌鋒鋭い方も結構多く、政治家に名誉棄損で訴えられるケースも珍しくはありませんでした。その中の1人が菊池久さんです。

1932年2月18日生まれ、岩手県奥州市出身の菊池久さんですが、中学を卒業後、いったんは農協に就職します。中卒で働きだしたものの、過労が原因で入院、しかも労働災害にならなかったことで、権力を前になく人を人でも減らそうとジャーナリストを目指します。ただ、中卒で新聞記者になるのは無謀だったため、病院を抜け出して高校に進学、在学中に論文を応募し、これがきっかけで高校生ながら岩手日報の見習い記者に抜擢されます。学生ながら警察や役場を取材し記事を書くなど、当時もそして今でも異例の道を歩みます。


その後、明治大学を卒業した菊池さんは読売新聞に入社。国会担当となった際には、当時の三木総理の番記者を務めることに。この頃には執筆活動も行うようになり、1977年には「戦後日本の政財界をダメにした4人の首領」を書き、なかなかの評判を生みます。ただ、この時は菊池さんの名前ではなく、ペンネームで出していました。その後、読売新聞を退社した菊池さんは本格的に政治評論家としての活動を開始します。現在も続くサンデーモーニングのコメンテーターとして出演する他、東京スポーツで長らく連載を持つなど、様々な局面で活躍します。


菊池さんはとにかく巨悪に挑み続け、そのためには舌鋒鋭くなるのも避けられず、複数の政治家から名誉棄損で訴えられます。スポーツ平和党の一員だったアントニオ猪木氏からも名誉棄損で訴えられ敗れた他、東京スポーツの紙面上でとある歌手が逮捕されると予告し、結果的に外れたことで菊池さんはその力を失うことになります。


著書には面白いものが多く、自民党を10倍おもしろく見る本や、自民党にあらずんば政治家にあらずなどキャッチーな題名の本を多く出していました。現在に通ずるやり方ですが、毎年のように著作を出していた時期があり、まだ政治家になっていなかった田中真紀子氏の名前と1985年には出すなど、先を見据える力がありました。しかし、2009年、元々体が弱かった菊池さんは77歳の若さでこの世を去ります。しかし、すぐにはこの訃報は報道されず、報道されたのは1年後。報道するのは1年後にしてほしい、菊池さんの遺志により、時期を遅らせてから報道されることになりました。