橋本大二郎 政治評論家

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家族に総理大臣経験者、自らは県知事、そして、キャスターに転身し、政治評論家としても活躍された方がいます。それが橋本大二郎さんです。1947年1月12日生まれ、72歳の橋本大二郎さんは東京都の出身です。父親は大蔵官僚で、次男として生まれた橋本さん。東京大学には2度受験で失敗し、慶應義塾大学経済学部に入学、いったん卒業すると法学部に入りなおし、卒業するという異例のルートをたどり、卒業後はNHKに入局。キャスターとして活躍すると、1991年、高知県知事選に立候補し当選を果たします。その後、4期務め、2007年に退任。一度は国政に挑戦するも負けてしまい、それ以降は政治評論家として歩みを始め、2014年にワイドスクランブルのメインキャスターに就任、実に24年ぶりのキャスター復帰となり、2018年降板。それ以降は政治評論家としてたびたびコメントで出演することがある程度です。


現在の活動は、主に講演活動となっており、高知県知事、キャスターとしての知見を求められるような講演内容になっていると共に、政治家に対して求められるものなどを語る場になっているようです。全国各地を回っていることが橋本さんのホームページでも伝わってきます。講演の内容は現在の政治情勢も含まれており、政治評論を求めることは今も根強いようです。


橋本さんといえば兄が橋本龍太郎元総理であることは誰もが知る事実です。年齢はおよそ10年程度離れており、ケンカをしたくても相手にしてもらえなかったのだとか。NHKに入局できたきっかけを作ったのも兄で、当時色弱の人に受験資格はなく、色弱だった橋本さんには受験資格がなかったにもかかわらず、当時代議士だった龍太郎さんが試験を受けさせるように打診し、結果的にNHKへの入局を果たします。高知県知事選で自民党が推す候補がいたにもかかわらず、応援演説をしてくれたのも龍太郎さん。68歳で亡くなった兄の年齢を超え、1日でも長く生きようと精力的な活動を行っています。


大騒ぎする新成人に対して一喝したことがテレビで取り上げられたのも昔の話、キャスター復帰後はおとなしく政治などを語るバランスがとれた姿を見せていました。さすがに政界復帰を考えていることはないでしょうが、それでも現在の政治に憂う気持ちは持っているであろう橋本さん、精力的に全国を飛び回り、講演活動に力を入れています。

上西小百合 政治評論家

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政治家をやめて政治評論家になってから政治の発言が多くなる方がいます。それが上西小百合さんです。1983年4月30日生まれ、36歳の上西小百合さんは大阪府羽曳野市の出身です。大阪教育大学付属天王寺小学校からエスカレータ式で高校まで、その後神戸女学院大学を卒業するなど、サラブレッドのような経歴を持つ上西さん。卒業後は保険会社で働き、その後、美容関連会社に転職します。2012年に日本維新の会が主宰する維新政治塾に参加、それがきっかけで上西さんは大阪7区で立候補し、残念ながら自民党現職に敗れたものの、比例区での復活当選を果たします。維新の会が分党しても大阪維新の会側に付いた上西さん、2014年の選挙でも比例復活当選を果たしますが、ここで流れが変わります。


2015年、衆議院本会議を欠席、欠席の前日に居酒屋などをはしご、秘書との温泉旅行などをしていたと報じられ、維新の党の最高顧問だった橋下徹氏からの追求を受けることになります。辞職勧告を突きつけられても、法に触れないの理由で辞職を拒否し党から除名処分を受け、無所属として活動を開始。フォト自叙伝の発売やタレント活動など政治家ながらなかなかの奔放ぶり、ネット上での炎上は数知れない中、それでも発言をやめなかった上西さん。2017年に次期総選挙への出馬はしないと宣言、以降はタレント、政治評論家としての活動を行っています。


政治評論家としてのスタンスはこれまで属した維新関係者に対して辛らつで、何かあればTwitterで噛み付くような状況です。後に維新からは複数の問題議員が出てきますが、結果的にはその先陣を切るような形に。それでも政治家の任期が切れる間近になると、まともな内容のツイートが増え、上西さんに議員を続けてほしい、政治家として活動してほしいという声が出てきます。今後政治家に復帰するのか、政治評論家として活動するのかはわかりませんが、政治の舞台に戻る可能性は十分にありそうです。


一躍注目を集めるようになったのは皮肉にもスキャンダル以降というのが上西さん。それでも最近はあまりテレビに出ておらず、政治の勉強などをしている可能性もあります。今後どのような活動をするのかにも期待が集まりますが、自由奔放で、時に相手の懐をえぐるような発言を期待する声は大きく、政治の状況が段々と混沌としてきた今、復活を願う人がチラホラと出てきているかもしれません。

宮崎謙介 政治評論家

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不祥事を起こしたことをきっかけに政治家を辞め、その後政治評論家としてテレビに出てくるという方が時折いらっしゃいます。宮崎謙介さんがその1人です。1981年1月17日生まれ、38歳の宮崎謙介さんは東京都新宿区の出身です。総合商社に勤めていた父親の影響でフィリピンで暮らしていたこともある宮崎さんは、早稲田大学商学部を卒業すると日本生命に入り、その後、インテリジェンス、ドリコムと転職を重ねます。2007年に会社を起業し、2011年には親戚がいるという関係で京都の自民党選挙区支部長になります。その後行われた衆議院選挙で初当選を果たし、2年後の選挙では2回連続当選。プライベートでは1度離婚を経験したものの、2015年に同僚議員だった金子恵美氏と再婚、子供も生まれ幸せな生活を送るはずでした。


ところが、2016年、自らの不倫疑惑が週刊誌で報道されると風向きは一気に逆風に。世論からの激烈なバッシングもあって、報道から1週間後議員辞職に追い込まれてしまいます。金子氏が出産のために緊急入院した隙に不倫が行われたという報道が致命的だったことは明らかです。補欠選挙自民党の候補者を擁立できない事態になるなど、いかに打撃が大きかったかがわかります。その後、宮崎さんは公には登場せず、再び起業家として法人を立ち上げるなどし、奥さんの活動を支えますが、奥さんが選挙で落選したことで、それ以降は夫婦でメディア出演を行うようになります。


政治評論家として、数々のバラエティ番組に出演、政治に関して語ることも多く、元々イケメンで、今までの失敗をある程度明るく語れることもあり、テレビに引っ張りだこ。2019年10月、TOKYOMXのバラいろダンディの金曜MCになるなど、その活躍は議員のとき以上という声もあります。夫婦ともども政治家に戻る気はなく、現状はタレント活動、政治評論家としての活動に専念しています。とはいえ、知名度がある元政治家はこれから政党を作りたい人からすればありがたい存在であるのも事実なので、今後出馬を求められればそれに乗っかる可能性は否定できません。


まだ例の騒動を起こして数年しか経っていないという事実、ちょうどそのころ、社会的に不倫問題が加熱し、異様なまでのバッシングが行われました。結果的にそれに巻き込まれたわけですが、幸か不幸か、そのおかげでメディアに出られたわけですから、ある意味強運なのかもしれません。

東国原英夫 政治評論家

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ウクライナでは政治経験が一切なかったコメディアンが大統領選挙に当選するなど、お笑い芸人が政治家になるケースが時折あります。過去の日本でもそのような動きが見られましたが、東国原英夫さんもその1人です。お笑い芸人から宮崎県知事に、一時期は自民党総裁の椅子すらも狙える勢いがありながら、現在は政治評論家として政治を語る存在です。1957年9月16日生まれ、62歳の東国原英夫さんは宮崎県都城市の出身です。1980年、笑っていいともの前身笑ってる場合ですよのオーディションコーナーに出演、同じ番組に出ていたビートたけし氏の楽屋に行き、弟子入りを志願、後に多くの弟子が集まるたけし軍団の第1号となります。ビートたけし氏と共に歩み、自らは推理小説を書きベストセラーに。


そのドラマに出演した女優と結婚するなど順風満帆な人生を過ごしますが、不祥事をきっかけにテレビから一時消えます。その間、もう一度学びなおそうと早稲田大学第二文学部に入学し卒業、政治経済学部に再度入学した最中、宮崎県知事選がありました。当時の知事が不祥事を起こし不信任決議が可決、辞職に追い込まれての知事選でした。立候補を表明し、当初泡沫候補と言われながらも地道な活動を展開、しがらみのない存在が好感を呼び、宮崎県知事選で当選。その後宮崎県のセールスマンと自称し、頻繁に全国のテレビに登場し、宮崎県民の支持を集め続けます。2009年、自民党が劣勢に立たされ、政権交代間近といわれていた中、自民党幹部から次期衆院議員選挙への出馬依頼を出され、自らを自民党総裁候補にするならいいと条件を出します。結果的に出馬しませんでしたが、1期で宮崎県知事を降りると、都知事選への立候補を経て、日本維新の会から出馬し当選します。ただわずか1年で辞め、今の政治評論家のポジションに入ります。


政治評論家として、歯に衣着せぬ発言が多く、特にその発言はネットでの炎上を招きます。同時にまだお笑いタレントとしてのプライドを覗かせ、政治家、政治評論家、お笑いタレントをブレンドさせたような状態となっています。それをよしとするかは人それぞれの判断ですが、結果的に政治に対する親しみやすさを持たせている状況。再び政治家として政界に復帰するよう求められるケースもありますが、今のポジションがかなり居心地がいい様子です。今後どのような歯に衣着せぬ発言をしてもらえるのか、注目が集まります。

太田和美 政治評論家

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いったんは政治評論家になりながらも、再び政治の世界を目指す方もいます。太田和美さんがその1人で、政治を評論することを行いながら今も政界復帰を目指している人物です。1979年8月28日生まれ、40歳の太田和美さんは千葉県柏市の出身です。実家が不動産業を営む太田さん、地元の高校を卒業後、実家の会社に入社、その後会社を創業して代表取締役を務めます。そんな太田さんに転機が訪れたのは2005年のこと。千葉県議会議員補欠選挙が行われこれに立候補、劣勢が予想された中、当選を果たします。その後、2006年に衆議院議員補欠選挙が行われます。当時の民主党は不祥事の影響で解党を辞さない窮地に立たされ、その影響もあり、候補者が見つからない状況でした。そんな中で太田さんは立候補を表明。週刊誌のスキャンダル報道すら柔軟に受け止め、草の根選挙を徹底した結果、前年の郵政選挙で大勝した自民党の緩みにお灸を据えたかった選挙民の動きもあり、初当選を果たします。


しかし、そんな状態でも党内の政治に翻弄され、次期総選挙は福島からの出馬を余儀なくされます。それでもめげることなく福島で活動を行い無事に当選。小沢一郎氏から薫陶を受けたこともあって小沢ガールズの一員として、小沢氏の意向に背くことなく歩み続けますが、さすがに逆風の中では勝てず、この後連続で落選となります。2014年、当時の維新の党から地元の選挙区で立候補し当選、民主党と合流し再び太田さんは民主系議員になりますが、2017年の選挙では再び落選し、政治評論家として再起を誓います。
政治家として十分濃厚な時期を過ごした太田さん、25歳から政治の世界に飛び込み、多くの経験をしてもまだ40歳という若さはある意味で稀有な存在です。なぜ政治だったのか、それは太田さんの年代がロストジェネレーションと呼ばれ、就職氷河期世代であることも関係しています。社会に期待しない世代となり、このままでは無気力に生きてしまう人が多くなる、元気を与えたいとして、太田さんは政治家を志します。


女性の政治参加、この環境はまだ整っていないと語る太田さん。政治評論家としてテレビに出ることもありますが、その多くは地元柏での活動となっています。衆議院選挙は近く行われるとされ、いつ解散になっても不思議ではありません。再び永田町へ戻ることができるのか、政治評論家として歩むことになるのか、その審判の刻は目の前に迫ります。

金子恵美 政治評論家

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元々活躍が期待されていたにもかかわらず、ひょんなことから風向きが変わり、予期せぬポジションで活躍するケースがあるものです。政治家だった金子恵美さんもその1人で、何もなければ今でも政治家として活動できていたわけですが、あることから風向きが変わり、最終的に政治評論家になりました。1978年2月27日生まれ、41歳の金子恵美さんは新潟県新潟市の出身です。金子さんの父親は旧月潟村の村長をしており、いわば二世議員です。しかし、当初は政治家になろうとしていたわけではなく、早稲田大学第一文学部文学科演劇専修卒業が最終学歴です。


大学卒業後は地元のテレビ局で非常勤職員として働くも1年で退職、その後、ミスコンに選出されたり、韓国へ留学したりする中、2007年、新潟市議会議員選挙に当選、2010年任期途中で辞め、新潟県議会議員補欠選挙で無投票再選、2012年には衆議院議員選挙が行われ、またも任期途中で辞職し出馬、民主党の体たらくもあり、初当選を果たします。その後2014年の選挙にも当選し、役職も経験してきてさぁこれからという中、大変なことが起こります。同僚議員で夫の宮崎謙介氏の不倫疑惑が発覚したためです。夫は議員辞職に追い込まれ、自らは出産直後の疑惑発覚のため、体調が定まらない中で混乱に巻き込まれます。それでも総務大臣政務官になるなど一定の評価を得たものの、2017年、僅差で落選、いわゆるタダの人となります。


そこから1週間後、不倫騒動を引き起こした旦那と一緒にバラエティ番組に出演、以降、政治を語りながらもタレントとして活躍する日々をすごします。マンションのローン返済が要因となっており、不本意ながらも議員時代以上のスポットライトを浴びている金子さん。それでも比例復活の1番手となり、場合によっては復活当選の可能性もある中、金子さんはテレビ番組で政治家引退を表明、仮に繰り上げ当選があったとしてもそれを辞退することを宣言しました。


政治家として道半ば、それでも政治評論家としては直前までの永田町の様子を知る数少ない1人であるため、発言の機会は多いです。とはいえ、踏み込んだ発言はなかなかせず、俗に言う問題発言の類もそこまでないので、扱いやすい政治評論家とマスコミが思っている可能性が高いです。政治をわかりやすく伝えるなど、元政治家だからこそできるアプローチを金子さんができるのかどうかに注目です。

筆坂秀世 政治評論家

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政治評論家の中には元政治家も多く含まれますが、その中の多くは自民党の出身です。その中で珍しく共産党出身の元政治家が政治評論家をしています。筆坂秀世さんがその1人です。1948年2月28日生まれ、71歳の筆坂秀世さんは兵庫県川辺郡猪名川町の出身です。実家が農家で、5人兄弟の末っ子として生まれた筆坂さんは、兵庫県立伊丹高等学校を卒業後、銀行に勤務します。その後、日本共産党に入党、尊敬していた小林多喜二もまた自らと同じ銀行員だったことも関係していたようです。25歳で銀行員を辞めると、共産党議員の秘書となります。1度選挙に立候補するも落選、その後共産党内の役職に就きながら、1995年、参議院選挙において比例区で当選を果たします。日本共産党のナンバー4とまで言われた筆坂さんでしたが、2003年、セクハラ疑惑が浮上したことで共産党内でバッシングにあり、議員辞職に追い込まれます。弁明の機会は一切与えられなかった筆坂さん、当初は警告程度に済むはずが突如大事になったことに対し、色々な反感を抱くようになり、2005年共産党を離党します。


離党後の筆坂さんは政治の舞台には戻ろうとせず、これまでのスタンスを大きく変えることになります。共産党に対して痛烈な批判を展開するようになり、共産党バッシングを展開。これを受けてそれまで敬遠してきた保守系の雑誌にも寄稿するなど、これまでの政治家人生と大きく異なる日々をすごします。2015年には「日本共産党中韓 左から右へ大転換してわかったこと」という本を発売。明らかに思想信条を変えたことがわかる一冊です。現在の筆坂さんは主に保守的な意見しか出てこないようなネット番組や媒体に数多く出るようになり、共産党に対する見解をたずねる時などはほとんどのケースで筆坂さんが出てきます。共産党出身の政治評論家は現状ではほとんど少なく、しかも、出てきた人でもスタンスは近い人が多い中、共産党から完全に距離を置いた人は珍しいです。だからこそ、筆坂さんが抜擢されているわけです。


筆坂さんは、現在も共産党のことになればメディアでコメントを寄せるなど、共産党の体質を知る人物として重宝がられています。それだけ共産党内部が依然変わらない状況というわけですが、どのような政治的力学で動いているのか、わかりにくいからこそ、筆坂さんの解説は理解しやすいです。今後も大活躍する可能性が高いです。